少林寺拳法とググってみましょう。
すると、予測変換に『弱い』と出てきます。
まぁ、空手でも柔道でも……総合格闘技やボクシングですら弱いだの言われているので大したことではないのですが……
それでも、イマイチ知名度が低く、さらには演武中心ということで武道としてはどれくらい強いの?
と、疑問に思われる方も多いと思います。
そこで、少林寺拳法を実際に行っていて【準拳士】を取得したKAIの主観で紐解いていこうと思います!
まず、少林寺拳法って何?
「アレでしょ?ボールをキックしたら、キーパーがぶっ飛んでいく……」
それ、少林サッカーや!!
何度もイジられてきました。
でも、少林寺と聞くとどうしても『中国拳法』だと思っちゃいますよね?
しかし、なんと純日本産の武術なのです!!
少林寺拳法(しょうりんじけんぽう)は、1947年に日本で創始された新興武道である。創始者は宗道臣(本名:中野理男)で、宗は嵩山少林寺の門派の1つである北少林義和門拳の第21代正統継承者であり、少林寺拳法は少林拳を参考に再編された。誤解されがちであるが中国嵩山少林寺の少林拳と日本の少林寺拳法は別物である。ーWikipediaより引用
宗道臣氏も、日本人でして中国に渡り修行の末、自己の武道を立ち上げたのです。
少林拳とは違うのです!!
1947年に香川県にて、金剛禅総本山少林寺を創設。
こうして見てみると、80年にも満たない若い武道であることが分かりますね。
「戦後の若者の堕落ぶりを鑑みて、一人でも気骨ある若者を育てる教育の場を創造したかった」
宗道臣氏はこう語っています。
創設当時は武道団体というよりも、どちらかと言えば仏教の教えを中心にした社会教育のための組織だったようです。
「人、人、人、全ては人の質にある」
有名な言葉で、少林寺拳法を少しでも経験した方ならば聞いたことはあると思います。
宗教は……関係あるんですか?
結果を言えば「あります」
ですが、ここで「洗脳される!」と拒否するのは待ってください。
現在は宗教法人の側面があるため、少林寺拳法そのものが宗教臭がすると言われてしまっています。
上記の内容を理解していただければ、洗脳やお布施などとは異なると分かってもらえると思います。
しかし……道場訓のような物があり、その中の一節にはこうあります。
「理想郷建設に邁進す」
う~ん……初心者からすると、宗教臭がプンプンしますね。
ですが、入門すると強制などはなく少林寺拳法という武道修行に集中できますので御安心を♪
ちなみに、私の師匠は「宗教法人にしてからお金の徴収が始まった。金にがめつくなってしまった」と憂いていました。
そうなのです。
入門しますと、まず必要なのが入会費・月謝・道着代――――
そして、なんと金剛禅総本山少林寺に納める毎月のお金も発生するのです。
このお金は「強制ではない」という建前だったのですが、私がやっていた10年前の時代では、門下生が入金をしていないと支部長に連絡が来るシステムでした……
いや、半強制的じゃないか!!
この方針は、2代目『宗 由貴』氏――――宗道臣氏のご子息の代になってから始まりました。
少しお家騒動がありまして……
少林寺拳法のお家騒動
まず、宗道臣氏の後は後継者として婿の方が引き継がれる予定でした。
しかし、色々なご事情から、娘の『由貴』氏が引き継がれることに。
ちなみに、由貴氏は少林寺拳法において段位を持っていないのです。
もちろん心得はありますが、1級なのです。
そして、宗教法人化。
これらの騒動に、反旗を翻す人々も多かったらしいです。
少林寺拳法を去る者もあり、極真空手の分派と協力して作られた【白蓮会館】などは有名ですね。
白蓮会館は昇段試験の中に、空手団体ですがなんと少林寺拳法で使用する柔法(関節技や投げ)などがあることでも知られています。ちなみに、空手拳法と名乗っています。
さらに、こうした騒動の中でドイツや他の海外支部を作ることを考慮して、シンボルマークを変更しました。
↓元々のシンボルマーク
↓ニューモデル
かなり変わってしまいました。
昔は単純に「卍」を使用していましたし、その方がシンプルで好きだという方も多かったです。
しかし、このマークが『ナチスドイツ』のハーケンクロイツを連想させるという問題が浮上。
いや、全くの別物じゃろがい!!
そう思った人は私だけではなかったです。
そもそも向きが逆ですし、卍には仏教的意味もたくさんありました。
それが、一部の反感を買うという理由で変更されたのです。
↓当時の新聞
以上の2代目の組織改革が、気に入らない人も多かったらしく、脱会や非難の声もかなりありました。
現在でも不満を持ちながら、それでも少林寺拳法への愛情は変わらないという拳士も多いです。
いずれにしても、今は代が変わっています。
しかし、2代目の行ったことに対し納得できない人は、依然としています。
私がやっていた当時は、まさに2代目全盛期でしたので、少林寺拳法を行いながらも『2代目は好きじゃない』という人も珍しくなかったですね……
稽古は何をするのか?
少林寺拳法は、基本的には演武を中心に行い、試合も演武です。
しかし、演武を行うためには『技』が必要で、より高度な技となると使用基準は階級によって変わります。
分かりやすく言えば、級や段を上げていかなければハイレベルな技を演武で使えないのです。
なので、門下生は毎日稽古に励みます。
空手とはかなり変わりますが、突きや蹴り。
そして捻りや投げなどを加えた『柔法』なども行います。
コレがかなり痛い!!
手首が柔らかいとか関係なく、ツボや経穴を狙って技を繰り出すので、メチャクチャ痛いです。
この点はやはり『拳法』らしいと言えるでしょう。
準備運動から基本稽古は、他の武術とはそう変わりないです。
ですが、受け身の練習や飛び上がっての二連蹴りなどは少々特殊かもしれませんね。
新しい技を習うときには、二人一組になり、お互いに技をかけ合います。
そこでどれだけ痛いのか、相手によってどの角度で技をかければ良いのかなどを学ぶのです。
全く関節技が効かない人も、ごくたまに居ます。
実戦性の有無ですが、護身術などで活躍するであろう術技は沢山あります。
小手投げや捻り、私の居た道場では警察官の方がいらっしゃり、相手を制する方法などもやりました。
ここで重要なポイントがあります。
自分も相手も殺すことなく、争いを制する。
この考え方が少林寺拳法の基本方針です。
単にぶん殴ったり投げたりして、相手に怪我を負わせるのではない。
相手のその後の人生までも考えて、一生に響くような重傷を負わせないことが大切だと教わりました。
演武
演武というのは約束組手のド派手バージョンと認識していただければ大丈夫です。
一人で行うものもあれば、二人一組、さらには団体演武と言って集団で行うこともあります。
演武の構成は『起承転結』のように、きちんと順番を決めて技を繰り出します。
殴ってきた相手を躱し、そのまま掴んで投げる――――
このような流れを、1分半~2分の中にまとめ上げます。
5名ほどの(大会によりますが)審判がおり、技術度や表現度を点数にします。
その合計点を得点として争うのです。
何段もの猛者になれば『空中で跳び蹴りが交差する』などのカッチョイイ演武もありますよ♪
ちなみに、投げ技は段取得者もしくは茶帯以上に限定されています。
帯が進むごとに挑戦できる高レベルな技が増えるのは、とてもやりがいがあります!
実はあるンです!!組手!!
試合も演武で、練習も護身的……
そこで『弱い』などと断じないでください!!
実はあります。
少林寺拳法にも組手の稽古はあるのです!!
あくまでも練習という側面です。
頭部にプロテクターを装着。
グローブをつけ、胴回りにも防具を着けます。
ぱっと見だと、防具空手にそっくりですかね。
そこで実際にスパーリングをするのですが、そこは少林寺拳法。
相手に極度の負荷をかけたり、怪我をさせないように、頭部へのパンチは突き抜けないようにと注意をされます。
どういうことかと言いますと、パチンと頭部に『当てる』だけです。
ボクシングのように打ち抜くコンビネーションという動きではないです。
やはり実戦性に乏しいですか?
たしかに、投げや関節は禁止で、現在ではあまり行っている道院も少ないかもしれません。
しかし、実際に頭への打撃を意識するという稽古はとても重要なのです!!
現実のケンカにルールはなく、しかも短期決着が求められます。
その際に頭部を狙うというのは人間の戦いとして当然であり、そこの目測を誤ると大変なことになります。
私が在籍していた道院では、月に数回やってましたが、やはりこの練習を心待ちにしている者も少なくなかったです。
じゃあ、お前はどうだったのさ?
では、総括として私の実体験をお答えします。
私は少林寺拳法の大会ではおかげさまで多数の受賞をいただき、新聞にも載ったことがあります。
黒帯を締めたあの瞬間は忘れることは出来ないです。
ですが、少林寺拳法に触れたおかげで他の武道にも興味を持ちました。
大学受験が終わった瞬間を見計らい、極真系列の道場の門を叩き……
気分は意気揚々。
『何を隠そう拙者は黒帯の拳法使いぞ!!』
まぁ、ガキなのでこんな感じで見学に行きました。
そしたらなんと、ジャージでイイからとスパーリングをしてもらえることに!!
見せてやる!!
……でしたが、全っ然ダメ。
攻撃は早いと評価して貰えましたが、当たっても効いてないんです。
片足立ちを得意としていた癖に、あっさりと軸足を蹴られて横転。
序盤で過度な自信は砕け散りました。
実際のスパーリングというのは、こんなにも違うのかと、むしろ感動した瞬間です。
……おい!お前弱いじゃん!!
そうです。
言い返す言葉もありません。
しかし、コレは全ての武道や格闘技に言えることなのですが……
ぶっちゃけ、やっている本人のセンスと努力次第!!
です。
いくらネットで『強い』『最強』と書かれている道場やジムに行っても、本気でやらなければ意味は無いです。
今の時代は古臭いと思われるかもしれないですが、本気度のない練習をするくらいなら、家でのんびりとしていた方が良いと思います。
こんな光景を見ました。
高校の道場で練習をしていた時でした。
「ここが道場~?」
こんな感じで同じ学校の不良がやってきたのです。
私はヤンキーという生き物にあまり免疫がなく、フラフラと入ってくる不良にビックリしてました。
「強いンしょ?」
ヤンキーがどんな感情で尋ねてきたのかは、今でも分かりませんが、おそらくはおちょくるために来たのでした。
ちょうど顧問の先生がいたので、きっと先生が怒って追い払ってくれる……
そう信じて、先生の方を見ていました。
すると……
「興味があるのか?まぁ、見学していけ」
えぇっ!?
鬼のように恐い先生が、なんと笑いながら接しているのです。
不良は意表を突かれたのか、すんなりと道場へ入り、先生の隣の席に座りました。
そのまま……ヤンキーに見守られるというなんとも落ち着かない状況で練習は続行。
「で、どうだった?」
練習がひと段落すると、先生はヤンキーに尋ねました。
「まぁ……強いかどうかは分からんッスけど……」
「じゃあ、俺とやろうか」
!?!?!?!?!?
私たちもヤンキーも驚愕。
少林寺拳法の実力に疑問を呈するヤンキーに、なんと先生は「かかってこい」と言ったのです。
「オレ、一応レスリングやってるッスけど?」
「なんでも使え。どこからでも。どうぞ」
先生と不良が向き合い、ヤンキーは低い姿勢をとりました。
そのまま、タックル。
腰と膝関節を狙った、結構マジでやってるんだなぁと感じるタックルでした。
ですが……
「ほいっ!」
タックルを受け止めると、先生は指の第二関節を尖らせ、不良の背中に突き立てました。
「ふぎゃっ!」
不良は、そのまま轢かれたカエルのように地面に落ちました。
背中の痛点を刺したのは分かったのですが、私たちは呆然。
ヤンキーは自分の体に何が起こったのか分からないような顔をしていました。
先生はただ笑い、そしてヤンキーはバツが悪そうにすごすごと帰っていきました。
先生はこの出来事についてその後全く触れずに、現在も武勇伝などにはしていません。
実は先生は少林寺拳法五段の猛者。
我々が真似をするには若すぎて、先生が不良を撃退したことを触れ回ることもできません。
↑まさにこんな感じでした(笑)
結局は本人がどれだけ頑張っているのか、そして実戦で術技を本当に行える精神的強さなどが勝負を分けるのだと思います。
まとめ
如何だったでしょうか?
少林寺拳法はなかなかに奥深いです。
西日本ではポピュラーになりつつありますが、東日本でも探せば道場はあるはずです。
皆さんも興味を持っていただけましたら、幸いです。
KAI