シリア内戦終結!?アサド政権崩壊!!

時事ネタ

【シリアで反体制派が首都侵攻。アサド大統領は国外逃亡!!】

シリア反政府勢力の指導者がアサド政権の崩壊を宣言しました。

シリアの反政府勢力は、北部主要都市アレッポ・中部ハマ・そして本日12月8日には中部の要衝ホムスを制圧し、首都ダマスカスへの進攻を開始したと主張。

ロイター通信によると、シリア軍の司令部はアサド政権が崩壊したと伝達しました。

「シリアの暗黒時代は終わった」

反政府勢力の指導者はこう高らかに宣言しました。

シリア内戦

アラブ地方で2011年頃に起こった、いわゆる【アラブの春】によって起こったシリア内戦。

なんと10年以上も戦いは続き、多くの難民を生み出しています。

この内戦では、長引いてしまったことで反政府勢力だけではなく過激派組織【イスラム国】も参戦。

アサド政権イスラム国打倒のためにアメリカ合衆国フランスをはじめとする多国籍軍、逆に政権支持派のロシアイランも戦闘区域に空爆を起こすなど、軍事介入をしています。

周辺の国も武器の供給や資金援助などを行い、まさに永遠と続く戦いになっておりました。

一時は反政府勢力が一気にシリア領内を支配するかと思われましたが、イスラム国打倒のために外国が介入したことや、同盟軍が壊滅するなどして2019年頃はむしろアサド政権が優勢となっていました。

その上、アサド政権は市民の生活しているエリアに対して化学兵器による攻撃を行い、アメリカ軍は空軍基地を攻撃するなど、市民も巻き込まれています。

独裁者バッシャール・アル=アサド

シリアは1962年に、イスラエルと戦争状態となって『非常事態宣言』を出しています。

その宣言は解除されず、憲法などの国民を保護する権利や法律などは事実上停止されていました。

1970年の革命以降は、『ハーフィズ・アル=アサド』が30年近くシリアを独裁。

暴動や国民の反発には武力で対抗し、焦土作戦を実行しました。

この作戦で一般市民を含む数万人の人間が殺害されたとされ『ハマー虐殺』と言われています。

ハーフィズ・アル=アサド大統領の後継者を巡り、抗議行動と武力衝突が発生。

数百人の死傷者を出しました。

その後、ハーフィズ大統領は死去。

息子のバッシャール・アル=アサドは後継者と目されていましたが、憲法の定めで大統領になれるのは40歳以上。当時は彼は34歳でした。

そこで、バッシャールは自分の年齢まで規定年齢を下げるなど憲法を修正。

後継者としてバッシャール・アル=アサドはシリア大統領となりました。

実は就任当時、アサド大統領は期待されていたようです。

アサド氏はフランス語・英語を使え、さらに結婚相手はイギリス出身でスンナ派の女性でした。

アサド家は代々シーア派でしたので、異例のことだと言えます。

人々はアサド大統領を改革派として期待していました。

しかし、その期待は裏切られ、違う民族や宗教派閥には徹底的な武力行使を行い、政府への不満は高まっていきました。

人権活動家や政府を非難する者を投獄し、シリアの人権は表現結社集会権利は制限されてしまい、とりわけ女性や少数派民族は差別を受けました。

アラブの春

俗に言う『アラブの春』の初期は、シリア政府に対する抗議活動に過ぎませんでした。

そんなデモ隊をアサド政権は逮捕。

抗議活動は急拡大していき、200人程度の抵抗グループが1,500人以上にまで膨れ上がり、48年間におよぶシリアの非常事態宣言の撤廃などを求めました。

国内では主要都市ほぼ全てで抗議活動が行われ、そしてほぼ全てで暴力的解決が適用されていきました。

とうとう、10万人以上の人々がデモを起こす事態になり、その取り締まりの暴力性は高まりました。

一時は、アサド大統領が政治犯200名以内の釈放などの譲歩を見せましたが、根本的解決には至らず、遂には暴動に発展。

さらに、アサド大統領は非常事態法の撤廃を行い、事態の収束を図りましたが、激しくなった抗議は収まりませんでした。

割れる国際世論

アメリカ合衆国のオバマ大統領(当時)は抗議活動に対する暴力行為を非難。

国連ではシリア問題について審議が問われましたが、ロシアと中国は反対の姿勢を取りました。

すでにこの時点でシリア国内では市民を含む5000人以上が犠牲になっていると発表されました。

人々は国外に逃げるしかなく、難民が増え続け、諸外国は難民を受け入れるかでさらに国内で論争が巻き起こるという負のループが発生。

前述の通り、反体制派は武力蜂起しましたが過激派組織なども含まれてしまい、時間の経過と共に壊滅。

アサド大統領はひとまず『アラブの春』を生き延びた形になりました。

しかし、その後も内戦は続き、代の変わったアメリカ大統領トランプ氏は『撤退』を決めました。

反体制派の逆襲

アサド大統領の勝利で終わるかと思われた内戦。

しかし、11月末にアレッポに反体制派が侵攻。政府軍は打撃を受けました。

さらに今日2024年12月8日には反体制派が首都ダマスカスへの進攻を宣言し、アサド大統領は国外へ逃亡したと語りました。

なんとわずか1日の戦闘で、主要都市を陥落させたことになります。

にわかには信じがたいことですが、すでに首都ではアサド大統領の父、『ハーフィズ・アル=アサド』前大統領の像が倒され、完全に反政府勢力の勝利であることが分かる状態です。

さらに、上述の通り政府軍はすでに抵抗はなく「アサド政権は終わった」と将校たちに伝達したとのことです。

軍が事実上の降伏をしたと見て、間違いないでしょう。

まとめ

現在、シリア首都ダマスカスの広場には数千人が集まり、手を振りながら「自由」を叫んでいるようです。

政府軍はすでに撤退していると見られます。

「シリアの暗黒時代は終わった」

この言葉に、約40年の国民の苦しみとそこからの解放が滲み出ていると言えるでしょう。

罪のない人々を巻き込んだ、この長い戦い。

終わったことに、鎮魂の想いを込めて拍手を送りたいです。

KAI

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